安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり、ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団、いわゆる「穴太衆(あのうしゅう)」はその後全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった。ただし、安土城に残る当時の石垣の積み方は場所により様々であり、特定の「穴太積み」なる技法の存在を想定するのは難しい。 (Wikipediaより)
※穴太衆(あのうしゅう) 比叡山山麓にある穴太の里(滋賀県大津市坂本穴太町、延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)出身で、現在でも、坂本の町に多数立ち並ぶ里坊とよばれる延暦寺の末端の寺院群は、彼らの組んだ石垣で囲まれ町並みに特徴を与えている。
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